強さ弱さ

 話は高校時代にさかのぼる。最後の試合が行われたのは札幌の月寒ラグビー場だった。全道大会に出場できる二校はすでに決まっていて、いわゆる三位決定戦だった。ラグビーというスポーツは実力がそのまま点数に結びつきやすいのと、北海道のラグビー部のある学校は指で数えられる程しかないので、事前にどの程度の実力なのかわかってしまうところがある。そういう意味でも最後の試合も奇跡が起こらないかぎりは勝てないという空気のなか、勝ち負けにかかわらず高校最後の試合ということで完全燃焼しようと気合が入った。

 いざ試合がはじまった。前半はなんとか競ったが、後半に突きはなされて負けに終わった。最も真面目で、勉強との両立に四苦八苦しながらラグビーを続けてきたキャプテンは、ひとりひとりに「ありがとう」と声をかけてくれた。仲間同士で握手して抱き合っているうちに自然と涙がこぼれ落ちてきた。選手控え室に戻り、しばらく選手たちだけでただただ泣いていた。 

 涙がでつくしたときに一人の仲間が急に平常に戻ったかのように試合中のことを面白おかしく話して周囲を笑わせた。ついさっきまで泣いていたのが嘘のように場の雰囲気がガラリと変わってしまったのだ。その様子を監督は控え室裏の通路で密かに聞いていた。監督が部屋に入ってきて、選手たちはその険しい表情を察知し、控え室には一転緊張感がほとばしった。監督は、 

「そんなもんか、お前らのやってきたこと」 

と目を見開きながら一言放ち、すぐにその場を去っていった。 

これが監督からの最後の言葉だった。キャプテンはチームメイトにあきれたように「最悪だな」と言って部屋を出ていった。残されたメンバーはうつ向きながら帰る準備をした。 

 ぼくはいまでもこの場面が忘れられなくて鮮明に記憶している。ぼくは試合で負けたことよりもスポーツ人生の最後がこのような終わりかたをしたという現実にしばらく目をそむけていた。自分たちにあると思っていた「本気」は、実はとても怪しげで胡散臭いものだったのだ。ただなんとなく肉体的にも精神的にも強くなりたいと思って高校からはじめたラグビーが教えてくれたのは、強さとは真逆の自分たちの「弱さ」だった。 

 今、世界では「強さ」という言葉が目立つ。強い国・強い経済・強い精神など。だが「強さ」という言葉を耳にするたびにズレを感じる自分がいる。強さはつまるところ力を生み、力は競争を生み、他者を犠牲にするからである。強さは平和や環境、そして自然といった言葉たちをどこかに追いやり、生物として人間が世界の中心であることを堂々と謳っているような気がしてならない。 

 だからといって強さそのものを否定している訳ではない。強さばかりに執着して、弱さに焦点が当たらなくなるのが単純に恐ろしいと思うのだ。世は無常である。無常であるからこそ、ぼくは僧侶として人間の「弱さ」にスポットを当て続け、そこから表現につなげていきたいと思う一人である。

(2026.02.25)